2011年11月6日日曜日

こいつら本気でスカイネットの登場を止める気だ:「シンギュラリティサミット2011」の公開動画

10月15-16日にニューヨークで開催された Singulatiy Summit の動画が開催されています。シンギュラリティは、技術的特異点と呼ばれるもので、コンピュータと人間とが融合するという時代の到達を予言するものです。この言葉の提唱を始めた発明家であり、未来学者のレイ・カーツワイル(Ray Karzwail)は、コンピュータの速度が2年で2倍になるというムーアの法則が、このまま継続していくようであれば、2045年頃にそうした時代が起きると予測しています。

講演している人は、起業家でベンチャーキャピタリストの、Peter Thiel という人で、このサミットを主催しているSingularity InstituteというNPOに対して、06年に10万ドルの寄付を行っている人物です。Singularity Instituteは、2000年に設立された団体で、AIの専門家と、インターネットのアントレプレナーだった人が始めた団体です。もちろん、カーツワイルの影響は大きく、先進的なAI技術を通じて、シンギュラリティを肯定的に到達するための未来像を探り、加速化させたりするための団体のようです。 

Thiel氏は、講演の中で、テクノロジーの加速化、グローバリゼーションの広がりといったことを議論をしています。シンギュラリティの進行については、未来に対しての悲観的な見方と、楽観的な見方があり、それを楽観的なよう乗り越えて行かなければならないといったことも指摘しています。
 政府といったところにも働きかける必要性ののようなことも論じられているため、こうした考え方を政策へと反映させていこうという実務面での影響力を経済へとどう影響を行使していくべきなのかといったことも議論の対象になっているようです。

このSingularity Instituteは、シンギュラリティのための「Strategic Plan(戦略計画)」というものを発表しており、11年8月にアップデート版を発表しています。 中を読むと、カタストロフ的なリスクを避けなければならないといったことが、大まじめに書かれており、「ターミネイター」に登場する「スカイネット」のような存在の登場を押さえようということを本気で考えているようです。
単純なSF的な冗談であれば大したことなく、日本人の常識的な感覚からいうと、おいおいという初印象がします。
ただ、興味深いのは、投資家がこうした夢物語のような話に、深くコミットしているということでしょう。もちろん、それは新しく正確な未来を先に読み取ることで、的確な投資先を探すといういう目的がアントレプレナーやベンチャーキャピタルにとっては、合致しているからだろうと理解しています。
SF的な話に、実際的な話が乗ってくるところが、アメリカ実用主義的な考え方が通底しており、それを全世界に対して広げることに対して、あまり疑問を持たない彼らの発想がベースになっているように思えます。

公開している講演は4つで、カーツワイルの講演もあり、それぞれ1時間近くあるかなりのボリュームある内容です。どばっと、見るのが大変なので、ちょこちょこ見ながら紹介していきます。

2008年のサミットの様子が、RobotWatchに掲載されていました。日本語で読めるのは、これが唯一かな。 コンピューターが人間を超える日、「シンギュラリティー」は起こるのか 

カーツワイルの講演そのものはTED2009のものが、日本語の字幕付きが公開されています。 彼の議論が、上手くまとまっているものなのでわかりやすいです。約9分


彼は、2005年のTEDでも講演しており、そちらは23分。ただし、日本語字幕なし。
Ray Kurzweil on how technology will transform us

TEDは、アメリカで未来を論じていく場所として、強力になっているように思えます。GDCが一時、VIsion Trackというのを設定したことがあるのですが、TEDの影響があったのだろうと思っています。

2011年11月5日土曜日

テストの正答率を直前の5分で引き上げる方法:プライミング効果

マルコム・グラッドウェル『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』、光文社、2006年
Blink, Malcolm Gladwell, 2006

 プライミングは洗脳とは違う。「昼寝」とか「ぬいぐるみ」という単語でプライミングをしても、記憶の底にある子ども時代の個人的な情報を引き出すことはできない。私に代わって銀行強盗を働くようにプログラムすることもできない。一方でプライミングの効果は小さくない。
 二人のオランダ人研究者がある実験をした。雑学クイズのゲームから難問ばかり四二問集め、学生のグループに答えさせた。学生の半分にはゲームを始める前の5分間に教授になることについて考えさせて、頭に浮かんだことをすべて書き留めるように支持した。この学生たちは五五・六%の質問に正しく答えた。残りの半分にはゲームの前にサッカーのフーリガンについて考え冴えた。彼らの正答率は四二・六%だった。「教授」のグループが「フーリガン」のグループよりも物知りだったわけはない。頭がよかったわけでも、集中力があったわけでも、真剣だったわけでもない。「頭がよくなった」ように感じただけだ。そして頭のよさを示す概念、ここでは教授と自分と関連づけることで、難しい質問に緊張しながら正しい答えがすらすらと出てきたのだ。五五・六%と四二・六%の差は大きい。合格と不合格を分けるかもしれない。(P.61-62)

困ったことに、この翻訳本は参考文献リストが省略されているので、このオランダ人の研究者が誰なのかがわからない。英語版WikipediaのIndirect tests of memoryのWord Stem Completion (WSC) Taskに、「One of the first uses of the word stem completion (WSC) task was by Elizabeth K. Warrington and L. Weiskrantz in 1970」とあり、この研究者は、オランダ人のようなので、この研究者のようだ。そういう意味では、今から40年以上も前にわかっていた効果のよう。

人間は、自分の中で自発的に意志決定をしているようで、実は、無意識的には影響を受けており、それらを自覚することさえできないということを示している研究で、やっかいなことに、人種差別のような偏見の場合は、先にそういうものを持っていると、意識しないようにしていても、無意識的に偏見を裏付けするように行動を起こしてしまうという傾向が出てしまうという話が、この話の後に続いている。


この本もいかに無意識に得ている情報に人間が影響を受けやすいか、逆に、それを知識として知っていれば、利用できるか(利用されているか)が説明されている。サイエンスライターのマルコム・グラッドウェルの著作はどの本もおもしろい。


心理カウンセリングの知識を学ぶ では以下のように紹介されている。
【プライミング効果とは】
 プライミング効果は、一度受けた刺激が後に受ける刺激に影響を与えるというものをプライミング効果と言います。何度も関連のありそうな言葉を上げた後で、言葉を連想すると関連付けて考えてしまうのがプライミング効果です。
【プライミング効果の事例】
自動車、船、新幹線という単語を見せた後に、空を飛ぶものは何と聞くと、飛行機と答える可能性が高くなります。他にも飛ぶものはあっても、最初に聞いたものから無意識に連想してしまうのがプライミング効果といえます。

実際、テレビCMでは、こうした効果はよく利用されている。
有名人が何かの商品を褒めるために出てくるのは、無意識的にその人が持っている価値と結びつけ、商品購買の意思決定の際に何となく、望ましいと感じるモノを購入するように、すり込んでしまうためだ。
裏返しに、CMを見る場合には、何歳ぐらいの、どのような芸能人を使っているのかを見るとことで、その企業は、ある製品を、誰に売りたいのかが明瞭に見えてくる。30代女性に買ってほしい商品であれば、30代女性で望ましいイメージを持っている人が、必ず出てくる。
そして、当然のように、CMの世界には、幸せに包まれたような家庭や個人しか登場しない。

この短い引用から言えるわかりやすい教訓は、試験の前には「大学教授」とか難しいことについて考えて、紙に書き出すなんてことをやると、結果がよくなるかもしれないと言うこと。お試しあれ。

2011年11月4日金曜日

ソーシャルゲームの心理理解のヒント:不幸を受けた量は、幸せによって埋め合わせできない

ソーシャルゲームに、なぜ思わずはまってしまう人が出るのか、一方で、このタイプのゲームに、どこか満足感を得られないのかという心理に、手がかりとなる書籍を紹介する。

『まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか』ナシーム・ニコラス・タレブ、2008年
Nassim Nicholas Taleb, Fooled by Randomness, 2004



なぜ、ニュース(短い期間)は雑音がいっぱいで、一方、歴史(長い期間)は雑音がほとんど取り除かれている(ただし、間違った解釈がなされるという問題はある)のかが説明できる。また、私が新聞をめったに読まない(死亡記事は別だ)のはなぜか、市場について無駄話をしないのはなぜか、それに、トレーディング・ルームにいるときはトレーダーではなく数学者や業務職と仲良くするのはなぜか、説明できる。毎朝『ウォールストリート・ジャーナル』を読むより月曜日に『ニューヨーカー』を読む方がいいのはなぜか(ここで言っているのは頻度の話だ。両者の知的水準がものすごく違う点はとりあえず脇に置いておく)も説明できる。
そして、偶然に気をとられてすぎた人たちが、何度も苦しんだ挙句、精神的に疲れてしまって燃え尽きになるのかはなぜかもわかる。なんと言おうと、苦しみは喜びで相殺できない(一部の心理学者によると、平均的な損失で人が感じる苦しみは、同じだけの利益で人が感じる喜びの2.5倍の衝撃力を持つ)。情緒面では赤字が出るのだ。
そういうわけで、ひっきりなしに株価をチェックする歯医者さんはとても苦しんだりとても喜んだりするけれど、この二つが相殺しあってゼロにはなってくれない。さらに、白衣を着た人たちが調べたところでは、この種の苦しみは神経系にひどい影響を及ぼす(よく起きる症状:高血圧。まれに起きる症状:ストレスによ記憶障害、脳の柔軟性の低下、脳障害)。私の知っているかぎり、トレーダーが燃え尽きた場合の症状はまだ厳密に調べられてはいない。でも、どうにもできないランダム性に毎日あんなに振り回されていたら、間違いなく心理的な影響を受けるだろう。(ガンにかかる影響もまだ調べられていない)。経済学者たちは、プラスやマイナスのショックについて、長いあいだちゃんとわからないままやってきた。彼らは、プラスのショックとマイナスのショックが及ぼす影響が、生物学的にも影響の強さの点でも異なっていることがわからなかった。儲けた後での判断と、損をした後での判断は大きく異なっているのだ。(P.93-94)

この議論は、タレブが同じパフォーマンスを出す歯医者の投資家と、月に1度ぐらいしかチェックしない歯医者がいるとして、一日中株価のチェックをし続けているような歯医者は、結局のところ、仮に儲かったとしても、精神的な損失が埋め合わされないほどに損を被るということを指摘している。
その根拠として、「利益と損失に対する脳の反応の非対称性」の心理学研究を上げている。巻末の付注に、3つ研究や研究者の著作が紹介されている。
そのため、投資家でもあるタレブは、できるだけ個々のノイズに振り回されないようにするために、新聞を読まないようにしているというものだ。

この議論は、未だにしっかりと解明されているとは言えない、「オンラインゲーム」や「ソーシャルゲーム」になぜ熱中してしまうのかといった心理と深く関係していると考えられる。
熱中している状態は、心理的に不安な状態になってしまうことが少なくない。眠っている間に敵に攻め込まれているのではないかというような形で、不安な心理を抱えて、必ずしも楽しいと感じないで熱中した経験を持っている人はいるのではないだろうか。
心理的な損失と報酬のバランスが会わないからこそ、その収支を合わせようとして、アイテムに課金してしまう。負けが込んでいるにもかかわらず、パチンコ台にさらにお金をつぎ込んでしまうという心理と似ていると、私自身は理解している。

ソーシャルゲームが既存の家庭用ゲームのユーザーから、嫌われる理由もその辺にあるのだろうと思う。完結した商品は、ストレスを与えられてもパッケージとして完結しているために、ストレスが予測できる安心感が存在するが、ソーシャルゲームの場合は、他のユーザーが関わるために、ユーザーがコントロールできないランダム性が高いため、高いストレスを受ける可能性があるからだ。
株式市場のようなところで起きる動きは、コンピュータ関連での技術革新が先行して起きることが多い。現金を扱っているために、間違いが許されず、また、収益を得るために正確な情報を持ちたいという強力な動機が参加者にあるからだ。
その技術や仕組みが、コモディティ化して、はるかに安価に提供できるようになったのが、ソーシャルゲームの一つの姿であるとも見ている。
人間の動きやパターンは、今後も様々な方法で分析する方法が登場してくるだろう。

Gehring, W. J., & Willoughby, A. R. (2002). The medial frontal cortex and the rapid processing of monetary gains and losses. Science, 295, 2279-2282.
Science誌に発表された脳科学の論文で、公開されているもの。ギャンブルを行った場合に脳がどのように反応するのかを計測し、脳の前頭前野が、何かを得るときよりも、損失するときの方が2.5倍反応することを上げている。ミシガン大学の心理学研究者。

Anxiety, Depression, and Emotion (Series in Affective Science) [Kindle Edition]
Richard J. Davidson
ウィスコンシン大学の心理学研究者。脳の非対称性を早い時期から議論し始めた人のよう。日本での翻訳文献はない。脳波計を使って仏教瞑想が、効果があるといった研究もしていたよう。
タレブはの参照元はこの書籍と思われる。訳すと「不安、憂鬱、感情」。

一般的な解説書として、ダニエル・ゴールドマン「なぜ人は破壊的な感情を持つのか」も上げている。EQなどを考えだし、日本でも知られているゴールドマンが、ダライ・ラマと行った議論を収録した書籍。

2011年11月2日水曜日

「クラウドソーシング」の10のルール

「クラウドソーシング―みんなのパワーが世界を動かす」ジェフ・ハウ、早川書房(原著2008年)

クラウドソーシングの考え方の多くの事例を交えつつ紹介している書籍。最終章の結論部分から、導き出せるという10のルールを抜粋・要約。本文はもっと長い。

現在では、これらの法則は、かなり一般的に知られるようになってきていると思うが、それでも、見直すチェックには向いている。


クラウドソーシングのルール


1 正しい方法を選ぶ
4種のアプローチに分けられ、組み合わせを合わせたものが多く、バリエーションがある。


・集団的知性、あるいは群衆の知恵
集団は個人よりも多くの知識をたくわえているという原則。難しい点は、彼らが知識を表現するための環境を作る事。
・群衆の創造
群衆は想像のエネルギーをたっぷりもっている。
・群衆の投票
群衆の判断力を利用し、大量の情報を整理する。
・群衆の投資
集団的財布を利用し、人びとの大規模な集団が、銀行などの金融機関のかわりに融資をする。


2 正しい群衆を選ぶ
自分の目的に応じ、正しい人びとを選ぶことが肝要。


3 正しい動機を与える
クラウドソーシングを成功させるのにもっとも重要な要素は、共同体が生き生きと、献身的に力を注いでくれることだ。人びとを巻き込むには、まず何よりも、彼らが貢献する動機を理解する必要がある。


4 早まってリストラをしてはいけない
群衆ならばただで仕事をしてくれるのに、同じことをお金を払って社員にさせるのはどうしてか? 理由はたくさんある。
「将来的に、好むと好まざるとにかかわらず、編集者の役割は、独白を伝えることではなく、対話を導くことになるからだ」


5 ものいわぬ群衆、あるいは慈悲深い独裁者の原則
クラウドソーシングの試みが大きな成功を収めた例では、群衆とそれを導く者、すなわちオープン・ソース・ソフトウェア・プロジェクトで「慈悲深い独裁者」と呼ばれる者が、活発にやりとりして作業を進めている。
誰かが決定者の役割をする必要があるのだ。コミュニティにはリーダーが必要なのである。


6 ことを単純にし、小さく分ける
クラウドソーシングの場合、なんらかの価値ある作業を実行するさいには、できるだけ小さい要素に分割することになる。
作業の性質を単純にすることも重要だ。これは群衆が愚鈍だからではなく、多様だからである。


7 スタージョンの法則を忘れない
スタージョンの法則(SF作家、シオドア・スタージョンにちなんでいる)によれば、どんなものも九〇パーセントはカスであるという。私が本書の執筆のために話を聞いた人びとの多くは、それでも少なすぎるぐらいだといっていた。


8 スタージョンの法則を逆手にとって、一〇パーセントの存在を忘れない
クラウドソーシングにほんもののマジックがあるとすれば、それは、群衆がネットワークを質の低い作品であふれさせがちなところを正す、群衆自体の能力にある。
機に応じて民主的な手段をとり、がらくたのなかから最高の、もっともよく輝くダイヤモンドを、群衆に探してもらえばよい。


9 コミュニティはつねに正しい
(慈悲深い独裁者は)絶対的な権限を持たない意識上の存在で、人びとを説得できるだけである。コミュニティを導こうとすることはできても、最終的にコミュニティの判断にしたがうのだ。


10 自分のために群衆に何ができるかではなく、群衆のために自分が何ができるかを問う
クラウドソーシングは、個人あるいは企業が群衆のもっとも欲するものを与えれば、もっともうまくいく。これを別の観点から考えれば、クラウドソーシングを成功させるには、マズローの五段階欲求説でいう最上位、自己実現欲求を満足させることである。人びとが参加の方向へ引きつけられるのは、ならかの心理的、社会的、あるいは感情的な必要を満たされるからだ。必要を満たされなければ、参加しない。

<参考情報>
CROWDSOURCING : Jeff Howe のホームページ 更新そのものは止まっているよう

Jeffによる定義
The White Paper Version: Crowdsourcing is the act of taking a job traditionally performed by a designated agent (usually an employee) and outsourcing it to an undefined, generally large group of people in the form of an open call.

The Soundbyte Version: The application of Open Source principles to fields outside of software.

ムービーによる書籍について自信で紹介するトレイラーがある。
2006年にWiredに発表した記事 The Rise of Crowdsourcing が最初らしい。

2011年11月1日火曜日

ジェンキンスによる「トランスメディア」の定義


"Convergence Culture: Where Old and New Media Collide"Henry Jenkins , 2006



元MITで、現在、南カルフォルニア大学教授のHenry Jenkins が行っている「トランスメディア・ストーリーテリング」のわかりやすく明瞭な定義。
Transmedia storytelling is the art of world making. To fully experience any fictional world, consumers must assume the role of hunters and gatherers, chasing down bits of the story across media channels, comparing groups, and collaborating to ensure that everyone who invests time and effort will come away with richer entertainment experience.(P.509 Kindle版) 
<Google翻訳 ベタ張りをちょっとだけ修正、しかし、ひどい訳だ>
トランスメディアのストーリーテリングは、世界創出のアートです。どんなフィクションの世界を十分に経験するためにも、消費者は消費者がメディアチャネル間の物語のビットを、グループを比較し、時間を投資しているすべての人を確保し、努力がより豊かなエンターテイメント体験を離れてくるのコラボレーションを追跡する、狩猟と採集の役割を引き受ける必要があります。
ちょっと、この単語も日本で一般的に知られる様になってきてますね。ジェンキンスが2003年頃から、ファンカルチャーのコミュニティの分析から、積極的に主張し始め、知られるようになった言葉。著書の概要は、コンピュータの発達で、いろいろなメディアが登場したことで、オリジナルのコンテンツと、ファンのコンテンツの境界線が、曖昧になり融合しながら、新しいメディア形態として、発展しているといったような内容。
トランスメディアという考えは、二次創作といった面で、日本の同人コミュニティの考え方に近い部分があるんだけど、微妙に違う印象もする。少なくとも、アメリカでは、コミケといったリアルな空間のドライバーが日本ほど強くないため、ファンカルチャーもウェブ中心である点ところが地域性がある点で、ファンコミュニティの形成の仕方がだいぶ違う。
困ったことに、Jenkinsの著作は、一冊も日本語に訳されていないので、変なタイムラグと誤解が生まれやすい単語になってる。なので、一応、Jenkinsの定義を議論に使えるように貼っておく。
頼むから、どこかの出版社の方、翻訳版出してください。



2011年10月31日月曜日

1960~70年代の米出版業界の変化からうかがえること


 一九六〇年代、出版社が巨大コングロマリットと関係なかった時代は、本が広範囲に宣伝されることなどめったになかった。超大物作家の場合にかぎり販売促進や広告予算が組まれることがあったが、それでも今日の基準で考えたらわずかなものだった。第一、その金の全部といわなくても大部分が「パブリッシャーズ・ウィークリー」や「ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー」等の広告代に使われた。出版社側には新規読者層を開拓する努力をはらう意思などまったくなかった。宣伝の対象となったのは、本がすばらしくかつ比較的安価な楽しみを提供してくれることをすでに知っていた人びとだけであった。
 当時は、宣伝では本は売れないとみんなが信じ込んでいた。他の商品には成功する販売テクニックも、本にだけは当てはまらないという通年がまかり通っていた。本を売るための唯一の手段は読者から読者への口コミだと思われていたのである。確かに口コミは大切だ。が、出版社側が本の宣伝をしないで、出版部数もそれほど大量でないとしたら、口コミを始める機会だってないではないか。読者がある本の所在を知らず、店でも目にすることができないとしたら、口コミをはじめるのにじゅううぶんな読者の数さえ期待できない。通年というものは、ときには全体に共通した無知とも思いちがいともなり得るのである。
 コングロマリットが出版業界に乗り出してくる前は、テレビやラジオで小説の宣伝をすることなどまじめに考えた出版社は一社もなかった。作家が進言したとしてもおどろきと軽蔑をもってあしらわれただろう。誰もが、宣伝とは出版関係誌の読者を対象に行うべきだと思い込んでいたし、ラジオやテレビにかかる巨額な宣伝費にみあうだけの部数が売れるわけがないと思い込んでいた。それにラジオやテレビで宣伝すると本の価値が安っぽくなるから、真の読者層に敬遠されてしまうだろうとも思い込んでいたのだ。このような思い込みが道理を得たものかどうか、ごく大ざっぱな市場調査さえやってみるものはいなかった。調査の必要性を感じたものさえいなかったのである。
 大企業が出版社の吸収に着手するにつれて、長いあいだの通念が捨て去られていった。巨額な宣伝費や販売促進費が注ぎ込まれるようになった。予想通り、最新の販売テクニックは本の市場を急速に拡大していった。利益を貪欲に追い求めるこれらコングロマリットは、たった一〇年のあいだに、本を普通の人たちに近づけることに成功した。(P.59-60)

1970年代にかけてアメリカで起こった書籍の販売手法の大きな変化を作家の側から書いているもの。D・クーンツは、モダンホラーなどの分野で人気のある作家で、この本は小説の書き方の紹介書として、名著の一つといわれるが、おもしろいのがその前半で1章割いて、書籍の販売方法や、市場構造がどう変わってきたのかを作家の視点から書いている。
本は売れなくなり、だめになるという悲観論が吹き荒れていたが、「本はかつてなくよく売れている」と断言している。収益構造が変化することと、売れるジャンルの本が変わる事と、本が売れなくなるということは違うということを指摘している。
日本では、アメリカの書籍業界を論じているような文献はあんまりないと思われるので、新鮮に読んだ。
この部分から読みとれるのは、60年代に始まった米書籍産業の合従連衡は、70年代に資本力による販売手法にとって変わったという点だ。日本でも読まれるアメリカのベストセラー作家達は、この波に乗る形で、数百万部という途方もない販売冊数を売るようになった。この本のこの記述だけで、アメリカの書籍業界のことを語るのは乱暴すぎるが、販売手法を中心にイノベーションが起きたと言えるだろう。
これは、今の電子書籍をめぐる論争を考えていく上でも、重要なヒントになる。kindleといったものは、アメリカでは、整理が進んでいるがために、多数ある販売チャネルの一つととらえられ、そのまま受け止められた。たが、再販売価格維持法や、著者が強い著作権、返本制度など複雑な慣習が存在する日本では、紙を完全に置き換える存在のように過剰に怖がられている面がある。
ただし、確かに、電子書籍は、書籍の収益や利益分配の構造を変える。劇的な変化には恐怖が伴う。だが、これは避けられないだろう。
一方で、本を読む人は、電子化されようが、今と変わらずいるだろう。それが滅びることはない。読書はコストパフォーマンスのよい娯楽であり続けるからだ。

2011年10月30日日曜日

「大規模コラボレーション兵器」の時代


「ウィキノミクス」(日経BP社) ドン・ダブスコット、アンソニー・D・ウィリアムズ(原著は2006年)

「大量破壊兵器」ならぬ「大規模コラボレーション兵器」とでも言えようか。無料のインターネット電話からオープンソース・ソフトウェア、世界規模のアウトソーシング・プラットフォームにいたる低コストのコラボレーション・インフラストラクチャーのおかげで、従来なら大企業にしかできなかった形で数多くの個人や小規模メーカーが製品を協創し、市場に浸透し、顧客に満足を届けられるようになった。その結果、新しいコラボレーション能力とビジネスモデルが登場し、これを受け入れる企業が力をつけ、対応できなかった企業は没落していく。
現在、メディアとエンターテインメントの世界が激変しつつあるが、これは、マスコラボレーションによって経済が根底から変化する予兆である。かつて、「プロ」は別格とされていたが、いまは、知識の源泉として認められたプロも、勝手気ままな「アマ」と同列となった。自発的参加によって成長しているプロゴスフィアは五〇〇〇万を超えるサイトのネットワークであり、一〇〇〇万単位人々がサイトを次々と更新し、ニュースや情報、自分の意見を公開している。(中略)
個人個人が知識やコンピューターの能力、帯域などの資源を共有しながら、だれでも使えるし改変もできる、無償でオープンソースの財やサービスを作れるようになった。それだけではなく、個人がコストをほとんど負担することなく、「デジタルコモンズ(共有財)
」に貢献可能となったことも、それが人の集合としての活動をさらに魅力的なものとした。実際のところ、ピアプロダクションは社会性がとても高い活動である。いま個人じゃ、コンピューターとネットワーク接続し、そして、発想のひらめきさえあれば経済に参加できるようになったのだ。
(中略)
このような変化から、知識や能力、創造力が従来はかんがえられなかったほど分散された世界、価値の創造がすばやく流動的、かつ常に破壊的となる世界が生まれようとしている。他者とつながっている者だけが生き残れる世界だ。力の均衡はすでに変化しつつあり、コラボレーションを活用するか、消え去るか、という厳しいルールに事業はさらされるようになった。この点を理解できない者は孤立する。知識を共有し、適応させ、更新して価値を創造するネットワークから切り離されてしまうのだ(P.20-22)

2011年10月29日土曜日

インプットとアウトプットの関係


立花隆『「知」のソフトウェア』(講談社現代新書)
先にインプットは時間がかかるといったが、アウトプットにはそれと比較にならぬほどの時間がかかる。二時間で読み終わるようなちゃちな本でも、書く側は百時間から二百時間くらいはかけている。したがって、先に述べたような残り時間の配分の計算にしても、自分の残り時間をインプットとアウトプットの間でどう配分すべきかということをまず考えなければらならい。アウトプットへの配分を多くすると、インプットへの配分がどんどん小さくなり、両者の比は低下する。すなわちアウトプットの質が低下する。
書きすぎの著者の本は中身が薄いのが通例である。しかし、逆は必ずしも真ではない。寡筆だからといって中身が濃いわけではない。(P.22)
そうなんだよねえ。何事も。消費する、壊す、 捨てる方が、生産する作業よりも常にかかる時間は少ない。しかし、この本は1984年なので、コンピュータが可能にしたデジタルデータの再生産コストの問題は、この時代の議論には当然の如くない。あくまでオリジナルを生産するコストの話。

2011年10月12日水曜日

イノベーションが生まれる数は人口の数に比例するという考え方

イノベーションが発生条件として、人口の数が決めているという前提で生み出されている方程式があるというものの紹介。かなり乱暴な議論だけど、100万年という大きなタイムスケールで理解する際には、使える考え方。
文中に出てくるトマス・マルサスは、人間の人口は幾何級数的に増加するが、食べ物は2倍3倍と算術数的にしか増加しないため、成長には限界があり、人口も算術数的にしか増加しないということを1798年に論じた有名な経済学者。どちらかというと、その後のピルの登場による人口抑制や、機械化や化学肥料等の登場によって食物の生産量の劇的な増加によって、増加する人口を補えてしまっていることを予測できなかったという、未来予測の難しさという観点から紹介されることが多い人。

ティム・ハーフォード『人は意外に合理的 新しい経済学で日常生活を読み解く』(原題 The Logic of Life)より引用。

マルサスにとってはいったいなにが間違っていて、人類にとってはなにが正しかったのだろう。それをとてつもなく創意に富む経済学者であるハーバード大学のマイケル・クレマーが最もエレガントに説明したのは、1993年になってのことだった。クレマーは豪胆にも、「紀元前100万年から1990年まで」を網羅する経済成長モデルを構築すると約束した。100万年にわたる人類の歴史を一つの方程式で示したのである。
クレマーのモデルは、簡単にいえば、「役に立つものを発明する可能性はどの原始人もほかの原始人と変わらない」というものである。アニメ『原始家族フリントストーン』の主人公、フレッド・フリントストーンが火、自動車、フリージャズなどを発明すると、その発明はだれでも使えるようになる。発明が普及するには多少は時間がかかるだろうが、100万年の歴史を前にして、だれがそんなことを気にするだろう。ここで基本となる洞察は、アイデアはだれでも使うことができるということだ。フレッドの石斧を奪えば、フレッドはもう石斧を使えなくなる。しかし、石斧をつくるというアイデアをフレッドから奪ったとしても、フレッドがその秘訣を忘れてしまうわけではない。つまり、人口が多ければ多いほど、発明の有用性は高まることになる。紀元前30万年にさかのぼると、フレッドのアイデアは100万人しか享受できなかった。今日では、自動車によって私たち60億人の生活が楽になる。
それが真実だとすると、クレマーの方程式が働き始める。「技術進歩の速度は、世界人口に比例する」——。卓越したアイデアが毎年人口10億人当たり一つ生み出されると仮定すると、紀元前30万年前にはホモ・エレクタスの総人口は30万人だったため、そうしたすばらしいアイデアは1000年ごとに生み出されていたことになる。産業革命が幕をあける1800年には、世界には10億人の人口がいたため、イノベーションの発現率は上昇し、驚くほどすばらしいアイデアが毎年一つ生まれており、1930年には、世界を一変させるアイデアは6ヶ月ごとに生まれていたということだ。現在、地球上には60億人の人間がいるため、2ヶ月ごとにこの種のアイデアが生み出されているはずである。そうしたアイデアには、複式簿記から輪作まで、あらゆるものが含まれうる。
これは話にならないほど極端に単純化されすぎたモデルである。データも完璧に合う。クレマーは人口の伸びだけを技術進歩の尺度にするように提案している。つまり人口が増加できるペースが速ければ速いほど、技術はよりしんぽしていなければならないということだ。有名なマルサスの仮定は、少なくとも1960年にピルが使われるようになるまでは、実にみごとにあてはまる。1960年の世界の人口と人口増加率は1920年の世界の人口、人口増加率は1800年の世界の約2倍であり、1800年の世界の人口、人口増加率は1500年の世界の約2倍であり——という具合に、きっちり石器時代にまで行く着くのだ。たしかに、紀元前100万年の人口がどうだったなどわかるわけがないが、考古学者と古生物学者は、クレマーと先史に関するクレマーの一次方程式モデルが登場するずっと前から、しっかりとした論拠と経験に基づいて独自の試算を行っていた。それはいま現在ある最善の試算であり、気落ちするぐらいクレマーのモデルに合致する。(P.333-335)

この本では、この理論を通じて、なぜオーストラリア大陸とタスマニア島が分離したときに、タスマニア島の原住民が生き残れなかったのかという理由に島が小さくなったことで、生きることができる人口の限界二部浸かり、イノベーションが引き起こせなくなったという仮設と、大航海時代以前のアメリカ大陸と同時期のユーラシア大陸の人口の違いが、その後の文明の技術革新の差を生み出したという仮説が展開されている。
逆に、地球の人口が限界にぶつかったときに、イノベーションの面では、成長の限界がやってくる推測ができるという、おもしろい議論。

2011年10月9日日曜日

「未来学」研究を始めるにあたって

軽い驚きと同時に、おもしろいものにぶつかった。
ゲーミフィケーションの分野で注目を浴びているゲームデザイナーのジェイン・マクゴニカルの著書「幸せな未来は「ゲーム」作る(原題:Reality is Broken)」(早川書房)の最初の「はじめに」で以下のような記述がある。

 カルフォルニア州パロアルトにある世界最初の未来シンクタンク、「インスティチュート・フォー・ザ・フューチャー(IFTF)の研究部長として、私はあるひとつの重要なトリックに気がつきました。未来を予測するためには、過去を振り返る必要があるのです。技術も文化も、そして気候も変化しますが、人類の基本的な欲求は依然として生存であり、家族の安泰であり、幸福で意味のある人生を送ることです。そのため、IFTFの私たちが好んで使うのは「未来を理解するには、見ようとしている未来までの長さの少なくとも二倍の過去を振り返られないといけない」という表現です。幸運にもゲームに関しては、それよりもずっと過去に遡ることができます。ゲームは何千年ものあいだ、人類の文明の基本的な部分を担ってきたのです。(P.19)

マクゴニカル氏は、ゲームデザイナーだが、彼女が未来シンクタンクに所属しているということにちょっとした衝撃を受けた。それで、早速、IFTFのサイトにアクセスをしてみた。
Institute of the Future (IFTF)

IFTFは、非営利の研究組織で、設立が1968年と古いのに驚かされた。
常々、アメリカでは、「未来学者」と自称する人たちがいることが気になっており、関連するカンファレンスが開かれることが多かった。コンピュータによる情報革命を予測した「第三の波」を書いたアルビン・トフラーも未来学者という肩書きであり、発明家であり人間とコンピュータの融合という過激な未来像を描いているレイ・カーツワイルも発明家という肩書き以外に、未来学者という肩書きで紹介されることが多い。
日本では、未来学者という肩書きを私が知るかぎり名乗っている人を知らない。
Wikipediaによると、「未来学」という学問分野らしきものは、60年代に成立したものらしい。

Wikipedaの未来学の項目より
現在のような学際的性格の未来学あるいは未来研究は、1960年代中盤の初期の未来学者、Olaf Helmer、Bertrand de Jouvenel、ガーボル・デーネシュ、Oliver Markley、Burt Nanus、Wendell Bell らによって確立された
未来学者に近いカテゴリーである、フューチャリストと呼ばれる人の中には、アーサー・C・クラークといった古典SF作家もこの中に分けられるということらしい。
そのため、この研究や研究機関は、これらの60年代から始まっており、すでに50年近い伝統がある。
それらの考え方の延長線上に、アップルが1988年に作り、iPhone 4Sが実現しようとしている21世紀の未来像のデモ映像といったものが重なってくるのだろう。
また、クリス・アンダーソンの「フリー」では、ニール・スティーブンソン「ダイヤモンド・エイジ」や、コリィ・ドクトロウ「マジック・キングダムで落ちぶれて」といったSFについて、著書の中で言及している。SFが、現実世界のビジネスコンセプトに影響を与える背景もそういうところにあるとわかる。
セカンドライフといったサービスも、ニール スティーヴンスン「スノウ・クラッシュ」から大きな影響を受けていることはよく知られている話で、SF的な現実が、ITの中で具現化するということがくり返されている。
もちろん、タブレット系や電子広告のときには常にトピックとして上げられる映画「マイノリティリポート」といったものも言うまでもないことだ。


日本では、こうしたSF的な部分は、ラノベ文化の中に吸収されてしまっており、「セカイ系」といった呼ばれ方をしている。それらの作品はおもしろいものも少なくないが、SF的なトリックはともかくとして、現実世界との乖離が大きくなっており、それらが直接的に製品に影響与えるような、未来学の基盤となる部分は弱い。

さて、このサイトをはじめる上で、ミッションは、一つには、未来学なるものが、どういう広がりを持っているのかを調べることに集中させていきたい。また、未来学は、単に無責任な未来予測を出すだけではなく、それをよりよい未来を作るために、実際の社会の中でのアクションに結びつけていくことが目的となっていることが多い。
中長期的な予測の上で、望ましい世界をどのようにして作っていくべきなのかが、論点となっているのだ。そのため、関連する文献を読み広げていき、それらの内容を紹介し、日本という難しい帰路に直面している国の中で、何ができるのかを、このサイトでは探っていく。
中心的なトピックは、ITや筆者が得意としているゲームといったインタラクティブメディアを扱っていくが、その周辺の情報も探る。


日々の情報のアップデートはこのブログを通じて行っていくが、同時に情報を集積していくことは「未来学研究所」のサイトを通じて行っていく。これらの情報はできるだけ多くの人と共有し、日本の中で何ができるのかということを議論していくための基盤作りにもつなげていく。
当面は筆者一人で、情報を蓄積していくが、関心のある方が出てきたら、参加できるような環境も整えていきたい。