2011年10月31日月曜日

1960~70年代の米出版業界の変化からうかがえること


 一九六〇年代、出版社が巨大コングロマリットと関係なかった時代は、本が広範囲に宣伝されることなどめったになかった。超大物作家の場合にかぎり販売促進や広告予算が組まれることがあったが、それでも今日の基準で考えたらわずかなものだった。第一、その金の全部といわなくても大部分が「パブリッシャーズ・ウィークリー」や「ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー」等の広告代に使われた。出版社側には新規読者層を開拓する努力をはらう意思などまったくなかった。宣伝の対象となったのは、本がすばらしくかつ比較的安価な楽しみを提供してくれることをすでに知っていた人びとだけであった。
 当時は、宣伝では本は売れないとみんなが信じ込んでいた。他の商品には成功する販売テクニックも、本にだけは当てはまらないという通年がまかり通っていた。本を売るための唯一の手段は読者から読者への口コミだと思われていたのである。確かに口コミは大切だ。が、出版社側が本の宣伝をしないで、出版部数もそれほど大量でないとしたら、口コミを始める機会だってないではないか。読者がある本の所在を知らず、店でも目にすることができないとしたら、口コミをはじめるのにじゅううぶんな読者の数さえ期待できない。通年というものは、ときには全体に共通した無知とも思いちがいともなり得るのである。
 コングロマリットが出版業界に乗り出してくる前は、テレビやラジオで小説の宣伝をすることなどまじめに考えた出版社は一社もなかった。作家が進言したとしてもおどろきと軽蔑をもってあしらわれただろう。誰もが、宣伝とは出版関係誌の読者を対象に行うべきだと思い込んでいたし、ラジオやテレビにかかる巨額な宣伝費にみあうだけの部数が売れるわけがないと思い込んでいた。それにラジオやテレビで宣伝すると本の価値が安っぽくなるから、真の読者層に敬遠されてしまうだろうとも思い込んでいたのだ。このような思い込みが道理を得たものかどうか、ごく大ざっぱな市場調査さえやってみるものはいなかった。調査の必要性を感じたものさえいなかったのである。
 大企業が出版社の吸収に着手するにつれて、長いあいだの通念が捨て去られていった。巨額な宣伝費や販売促進費が注ぎ込まれるようになった。予想通り、最新の販売テクニックは本の市場を急速に拡大していった。利益を貪欲に追い求めるこれらコングロマリットは、たった一〇年のあいだに、本を普通の人たちに近づけることに成功した。(P.59-60)

1970年代にかけてアメリカで起こった書籍の販売手法の大きな変化を作家の側から書いているもの。D・クーンツは、モダンホラーなどの分野で人気のある作家で、この本は小説の書き方の紹介書として、名著の一つといわれるが、おもしろいのがその前半で1章割いて、書籍の販売方法や、市場構造がどう変わってきたのかを作家の視点から書いている。
本は売れなくなり、だめになるという悲観論が吹き荒れていたが、「本はかつてなくよく売れている」と断言している。収益構造が変化することと、売れるジャンルの本が変わる事と、本が売れなくなるということは違うということを指摘している。
日本では、アメリカの書籍業界を論じているような文献はあんまりないと思われるので、新鮮に読んだ。
この部分から読みとれるのは、60年代に始まった米書籍産業の合従連衡は、70年代に資本力による販売手法にとって変わったという点だ。日本でも読まれるアメリカのベストセラー作家達は、この波に乗る形で、数百万部という途方もない販売冊数を売るようになった。この本のこの記述だけで、アメリカの書籍業界のことを語るのは乱暴すぎるが、販売手法を中心にイノベーションが起きたと言えるだろう。
これは、今の電子書籍をめぐる論争を考えていく上でも、重要なヒントになる。kindleといったものは、アメリカでは、整理が進んでいるがために、多数ある販売チャネルの一つととらえられ、そのまま受け止められた。たが、再販売価格維持法や、著者が強い著作権、返本制度など複雑な慣習が存在する日本では、紙を完全に置き換える存在のように過剰に怖がられている面がある。
ただし、確かに、電子書籍は、書籍の収益や利益分配の構造を変える。劇的な変化には恐怖が伴う。だが、これは避けられないだろう。
一方で、本を読む人は、電子化されようが、今と変わらずいるだろう。それが滅びることはない。読書はコストパフォーマンスのよい娯楽であり続けるからだ。

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