2012年1月11日水曜日

三味線猫と猫のおばさん


今日、近所の猫に詳しいおばさんに、夜に猫を外に出すことは控えた方がいい、と言われた。市川近辺で、三味線にする目的で夜に猫を捕まえている業者がいるらしい。
冗談だろう、ともちろん考えたが、どうも本当のことらしい。
大型ゴミを引き取ります-という車が、いつも通るようになり、どうせ引き受けるときには金を取ることを誰もが知るところとなり、無視されるようになったのか最近は来ない。一方で、そんな仕事が出てくるぐらい、金がないところにはないのか、と呆れた。今日日、三味線の需要なんてたかだかしれているだろう。キョンの飼い猫の「三味線」が笑い話にならなくなってきた。

そのおばさんは、近辺の猫に異常に詳しいというか、すさまじく猫にコミットメントをしている。人生を賭けているといってもいい。
日々、捨てられた猫を保護して、里子を探すボランティア活動をしている。そんな聞くだけで、無理な仕事を……とこちらは思ってしまう。猫は年間2回ぐらい発情するし、一度に3~5匹子供を産む。そのため、ねずみ算式にどんどん増える。
野良猫の寿命は2~3年と短いと言われているが、増える方にきりがないため、保護活動に終わりはなく、甲斐のない仕事なのではないだろうか、と思ったりする。だが、猫に思い入れ、何とか一匹でも猫の命を守りたいと思っているので大変である。よく心が折れないものだと思う。


猫を飼うようになってから1年と数ヶ月になるが、猫のことがそれなりに気になるようになってきた。野良猫出身のウチの猫は非常に気が強く、気分が乗らないとダッコをしていても、かみついてくる。縄張りを主張するために、壁に爪を立ててがりがりとやられるので、特に階段周辺の出っ張り部分は、表面がぼろぼろにされ、漆喰が表に出ているところもある。
仕方ないので、掃除の際に、爪を立てられている壁の該当箇所に、もれなく全部に上から白いガムテープを貼り付けた。一応、この2日間は臭いをふんふんとかいだ後、違和感を感じるのか、爪を立てることはない。代わりにダンボールを廊下に置いてあり、がりがり用で、もれなく、がりがりやっていて、ぼろぼろである。ただ、それなら被害がなくていい。

一日に一度は、縄張りの確認のために外出をしたがり、窓や扉のところに構えては、鳴く。出せと、言っていることはこちらもわかる。お腹減ったと主張しているときもわかる。それぞれ鳴き声が変わる。ただ、寒いのか1時間ぐらいすると戻ってくる。窓際にやってきたり、隣の屋根からジャンプして取り付くらしく屋上から、大声で鳴くので、開けろといっていることがわかる。

最近はコタツの中を占領する。童謡のように丸くなるのではなく、全身を広げて夏のバカンスのように、のべっりと広がっていることが多い。多分、丸くなるには熱すぎるのだろう。足は投げ出されており、放射板として使っているように見える。
邪魔である。
コタツのど真ん中を占領していることも多く、足をいれるともれなく当たる。しかも、こちらの足をネズミのようなおもちゃと思って、じゃれて遊んでくるので、これまたひっかいたり、甘噛みとはいえ、かみついたりと痛いのだ。
イラッとすると、蹴飛ばして追い出す。
ただ、しばらくすると、ころっとこちらの顔を伺うようにやってきて、いかにも甘えた声で、にゃう、と鳴かれれば、こちらも妥協せざる得ない。


話がそれた。
町に暮らす猫はどうしても、縄張りが被る。そのために、猫の諍いは絶えない。上下関係を決め、縄張りに対して関係性を決定づけるのだ。そのため、家の外では、猫同士の激しいケンカの声がよく響く。ただ、猫はお互いを傷つけ合うことは少なく、鳴き声による前哨戦でほとんど勝負がつくものらしい。

ウチの飼い猫にはライバルがいる。首輪を付けている灰色の猫で、一回り大きい。毛並みもいいことから、まともなご飯を食べているようだ。最近でも、よく二匹が対決しているらしい唸り声が上がってくる。
その灰色猫がウチの敷地に入ってくる進出に対して、縄張りを維持しようという闘いが続いている。ただ、ウチの猫が一回り小さい分、縄張りは押し出されているようで、細い通りを越えたアパートの方まで進出している姿をよく見る。そちらには強いライバルはいないようだ。

犬は人に住み、猫は家に住むというが、我が家には、飼っている猫以外にもう2匹家に住んでいる猫がいる。家の外の野良猫である。飼っている猫の母猫の白い猫に、秋にうまれた斑柄模様のチビ猫がいる。もう一匹子猫が生まれていたが、ある日、固くなって死んでいた。おばさんによると、どこかから落ちて当たり所が悪かったのではないか、という。庭に埋めた。
二匹の外猫は、餌をくれないかと、人間の姿を見ると鳴く。
白い親猫は眼つきが悪く、悪人ずらをしている。もう自分の子猫のことはすっかり忘れているらしく、完全に、子供は縄張り争いでライバルになっている。
チビ猫は生まれた当初はちんちくりんの変な顔をしていたが、成長するにつれて、今ではかわいらしい顔になっている。勝手口を開けると、ぴぎゃーといって、顔だけ家に入れてくる。しかし、中には入ってこない。人の姿をみかけると、とにかく、ぴぎゃーぴぎゃー鳴く。とても、かわいらしい。
ただ、これ以上、増えてもらっては困るので、外の猫には餌をやらないようにしている。
餌をやらなくなって、もはや4ヶ月ぐらい経つが、それでもチビ猫は鳴く。何で鳴くんだろうかと、不思議に思っていたのだ。
おばさんによると「さびしい」のだそうだ。
……そうか、おまえはさびしいのか。

選ばれた猫と、選ばれなかった猫。

たとえ、餌をもらえなくとも、ちょっとでも構ってもらえることは、嬉しいのだそうだ。

ウチの猫はのうのうとコタツの中に転がり、外の猫はこの寒風の空で耐えている。


外猫に、ウチの猫が羨ましいといった感情はないだろう。猫が何を考えているのかは、表情がほとんどないので、わからない。よく擬人化された猫がキャラクターになったりするが、あれは人間が考えた物に過ぎないと言うことがよくわかる。
猫の脳は小さく、物覚えもそんなにいいようには思えない。移動空間のこと、気持ちのよい場所のこと、ご飯のこと、トイレのこと、他の猫との関係性のこと、大体そんなものしか頭の中で考えていないようにみえる。
選ばれたかどうかも、また、人間の側の感情なのだろう。
猫の立場を人間に置き換え、神の視点から、人を選んだり、選ばなかったりしている存在がいると仮定したら? ……猫と同様に認識できないに違いない。

ところで、ウチの猫は昔は、外猫が縄張りをおかすのではないかと警戒していた時期があるが、最近では、そうした警戒をしなくなった。家の中にまで入ってこないため、自分の縄張りが侵されることがないという自信があるからだろう。
だが、外出するときは、玄関か、リビングの窓を選び、勝手口から出ることはほとんどない。それなりに縄張りの区分けは存在するようだ。
外猫は、何をどうやって食料を確保しているのかは、わからないのだが、2匹とも生きている。この寒い正月を過ぎ、帰省して戻ってきても、誰も餌をやらなくても、まだ何事もなかったかのように生きていた。チビ猫は以前と同じようににゃーにゃーと鳴く。
ただ、やはり冬であり、特にチビはやせぎすにはなっていた。


さらに話がそれた。
猫のおばさんの話をしようと思っていた。
このおばさんのところには、とにかく野良猫の話がたくさん持ち込まれる。
また、猫に同情するため、それを何とかしようとこのおばさんは全部を抱え込む。このお正月にも、近所の教会の近くに5匹子猫が捨てられていたというので、保護をやっていたという。そうした猫好きのネットワークが存在しているらしく、その子猫は、幸い5匹とも引き取り手が見つかったのだという。
しかし、過去には、夏場にダンボールのなかに封をして5匹放置され、2匹がすでに死んでいて腐り出していたという可哀想なケースもあり、それを思い出して、おばさんは泣く。
首輪を付けたまま、猫を捨てる人も案外多いという。駆除されないようと可哀想と思って、そうするのかもしれないが、何が可哀想なのかは、よくわからなくなってくる。

市川駅の近くに広い屋敷があるのだが、そこに猫が山ほど生まれているポイントがあるらしい。コインパーキングの駐車場で、餌をやる人がおり、それらの猫がお屋敷で子供を産んでどんどん増えているらしい。
可哀想に見えるからと、無責任に餌をあげてると、猫はどんどん増えていく。おばさんは、そこの場所だけは、見なかったことにしているという……。


現在、市川市では、犬の保護(駆除)は行っているが、猫に対しては行っていないのだそうだ。捕まえるのが大変だし、案外と住民との間のトラブルも起きていないのだそうだ。言われてみれば野良猫の駆除を徹底してやっているという話は、聞かない。それでも特に子猫の増加によるトラブルは生まれる。

猫を飼うようになってから、気にするようになったのだが、駅周辺まで含めて、まわりは野良猫だらけということに気がついた。10年以上住んでいて、こんなに野良猫がいることには気がつかなかった。私の認識のフレーミングが変わったのだ。
おもしろいことにいる猫もほとんど同じ。白か、斑か、灰色、黄色と白。ほぼ、これしかいない。顔もよく似ている。
うちの猫かと思ったり、うちの外の白猫にそっくりで、こんなところまで遠征しているのかと、第二の仕事場のファミレスに行く途中に思ったりしたことがあった。だが、国道14号を越えて、まさかここまで来ることはないだろうと思った。
要するに、親戚だらけなのだろう。遺伝子のパターンが決まっており、その4種類程度しか違いないという感じなのだろう。これが市川駅周辺の猫の個性だと思える。


そのおばさんが、昨日と今日続けて私の家に来た。外の白猫とチビ猫を捕まえにだ。
すでにどちらの猫も人慣れをしていないので、鳴きはするものの、近寄れば警戒して逃げてしまう。こうなると飼うのは容易ではない。
ただ、猫のためにはらはら泣くおばさんが、駆除をするために来たわけがない。
目的は、外猫に去勢手術をするためである。
費用はこちら持ち。

おばさんのネットワークの回答として、猫を増やさないためには、どうすればよいかという方策ははっきりしている。
過去、市川市のどこかで地区全体で猫に餌をやるな、というキャンペーンを張ったところが出たらしい。ところが、それでも猫の数は減らなかった。猫はどうやってか、とにかく自分たちの餌を見つけてくる。案外としぶといのだ。
町では、当然、生ゴミを食べたり、鳥を食べたり、ネズミを食べたり、様々な食べ物を獲得する手段があるため、生き残ってしまうのだそうだ。そして、また子供を産むので、結局、増えて、猫トラブルは減らなかったそうだ。
減らすために有効な対策とは、野良猫を捕まえて去勢手術を受けさせることだという。特にメス猫に有効で、オス猫を呼ぶフェロモンを出さなくなるので、去勢猫がいるエリアには近づきもしなくなるのだそうだ。それによって、猫の数は安定し、増えなくなるため、トラブルは劇的に減少する。
その地区は実際にそれを行い、その後トラブルはなくなったそうだ。

ただ、そんなものに市が助成をするはずもなく、誰かが費用負担をしなければならない。おばさんの活動に協力的な獣医が近所にいるため、通常の飼い猫よりは安い値段で、手術を引き受けてくれている。
それでも、まあお安くはない……。
野良猫にそのお金を払うには、かなりエネルギーがいる。
ウチの場合、家族でそうするべきと声高に主張する人がいたので、しょうがないと。親白猫がいくら悪相だからといって、早く死んじまえとは、さすがに言いにくい。殺す事もできない。放っておけば、また増える。
また、猫に同情してしまうぐらいは、見知った顔になってしまっているのだろう。
これも、また、猫の預かりしらぬところでの「選択」。
去勢後は、餌をやっても構わないので、外猫として厳しい自然環境で苦労しながらも、ウチの家に取り付きながら生きていくことになる。

おばさんは、まず、昨日、警戒心の強い大人の白猫を捕獲、そして、今日、チビ猫を捕獲。
捕まえ方は、昔ながらのトラップ。入り口と奥に餌を置いておいて、奥の餌を食べた瞬間に入り口が閉まるというもの。慣れたもので、猫をあっさりと捕まえた。猫の方も、案外と騒いだりしなかった。


猫のおばさんは、日夜、子猫の保護と飼い主捜し、野良猫の去勢とその資金を納得して引き受けてくれる人探しのために駆けまわっている。
そのために、とにかく忙しいらしい。毎日のように周辺の猫が引き起こすトラブルに対応できないかと方策を探っている。お金になるわけでもなく、ボランティア仕事はほぼ半永久的に続く。おばさんがやめれば、ウチの地区に同じようなことをする奇特な人はいなくなるだろう。
おばさんは、猫のコミュニティ仲間からは評価はあるかもしれないが、一般的には理解を受けにくいだろう。
猫が感謝してくれるわけでもない。猫が感謝状の一つぐらい贈ってもよさそうなものだが……。

たかが、猫のため。だけど、おばさんにとっては、それは何か特別なもの。
涙なくしては語れない、憐れな生命そのもの。
こういう人生もあることをスケッチとして、書いておきたかった。